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70年目の8月6日 2015.08.06

私は昭和23年生まれ。戦争を知らない世代。ベビーブーム世代。競争社会の中で育ってきたと自分で思っていたが、それでも「他人(ひと)を思いやる気持ちを持て」と、父親からも、学校の先生からも、近所のおっちゃんからもいわれて育ってきた。

それが世間の常識だと思って育ってきた。大阪市長をさせて頂いた4年間も変わらない気持ちであった。

住民投票で大阪市民が最後の意地を見せて、勝てないと思われていた大きな力に反発した。これは「自立」だとか「自己責任」だとか言われて追いまくられたあらゆる世代に不思議な感覚を植えたのではないか。対立をあおるだけの不毛、敵対することによる自己中心の考え方に対する「大阪的な解答」だったと思う。

子どもの頃「原爆許すまじ」を歌い、クラブ活動では峠三吉の「原爆詩集」を朗読教材に使って勉強した。それが当たり前の8月6日であった。

そんな戦後の思いすら米国から強制されていたとは思わない。どこが間違っていたのかの総括すらなされず、子どもたちの将来に影響を与える「教育」が時の政治の流れに大きく振り回されることがあってはならない。

「非核三原則」を踏まえ「核兵器を輸送することは想定していない」「米国から輸送要請があっても断固拒否する」との防衛大臣答弁だが、メディアが指摘するように「法文上禁じられていない」ことは政策判断の名の下にどうとでも解釈できるようになるのは火を見るよりもあきらか。

明らかに変な解釈がまかり通る世の中にしたいのか。常識というものから大きくはなれた政治の流れを見ていて「解決法」はないのかと暑さがより響く。

8月6日。

合掌。

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