大阪ウォッチング6

2016.03.27

3月27日号の大阪民主新報です。

公共の役割とは……これからの社会をどうイメージするかについて、考え続けねばと思っています。 
公共が果たすベき役割は

image

私が市長になったころの話です。大阪市職員のカラ残業問題をスクープした放送局から乗り込んだ市長ということで、バッシング対象の「本丸」に一人で入ったわけです。当然、周りの職員も随分緊張したと思います。
そんな中、私は「公共」というものを捉えなおし、市民の側からも「よう働いてくれるなぁ」と評価される職員がふえたらいいなという素人市長の思いを持っていました。私の「公共」に対する立場を極論すれば、行政は国や地方税収をどう市民の暮らしや地域の安全、魅力創造に寄与するように分配するかという点にあるという単純なものです。
今は情報公開社会です。「透明性の確保」という当然のことを守りながら、市民に実感してもらえる「住み心地良き都市」をどう目指すのかというものです。
一方で、財政状況の厳しさは、高度成長期に投資話に乗ってしまったり、行政自らが壮大な計画を立てたりして好況時に持っていた資産を「負の遺産」といわれるものにした歴史もあります。銀行との土地信託を巡る裁判なども想像以上に厳しいものがありました。
では公共の役割とはなんでしょうか。例えば「市民病院」。「大阪市職員悪者説」に覆われている中、しかも経費節減・出費を如何に減らすかということに焦点が当たるのも当然でしょう。多くの民間病院が整備されている大都市で「公共」の病院が果たすべき役割とは、果たして何でしょうか。
ある日、市民病院の責任者と話をしていて、「公立病院は無駄を垂れ流すのは駄目だが、人のいのちを守る使命を民間病院とは違う視点で持たなければいけない」「大都市で多くの人たちが暮らす環境だけに、民間病院では追いつかない設備や人材のために税を使わせてもらおう」と話しました。恐らく、経費節減、縮小基調の中でトップが責任者にそんなことをいうこと自体珍しかったのでしょう。驚かれたと同時にその方の目が輝いたことを今でもはっきり覚えています。
専門的な知識もない中で漠然と、「公共」は儲けるためにあるのではないという視点を大事にしたかったのです。並行して、非公式ではありますが、民間病院経営者と意見交換の場を持ち、「公立病院」と「民間病院」の建設コストや経費面での比較をしたこともありました。
民営化すなわち「バラ色」ではないと思っています。一面的な公務員バッシングで失われるものの大きさを、是非ひとりひとりがしっかりと刻み込んで頂きたいと思います。