大阪ウォッチング9
2016.05.01
5月1日・8日合併号の大阪民主新報への寄稿です。
題して『誰のための「改革」「統合」か』です。
今週の大阪民主新報はGWで合併号となっています。ですから私の投稿は2週続けてとなりました。
今回は大学統合という具体的な動きの中で、いったい誰のために、何のためにという気持ちを書きました。
本文テキストです。
【大阪では大学統合の話が進んでいます。大阪市立大学と府立大学。それぞれの新入学生にテレビでインタビューしていました。「統合話が進んでいますがどう思いますか」。メディアでは当然の取材でしょうね。新入生の答えも予想通りといえるものでした。「大きくなるのはいいことだ」「色んな学問の機会が増えて嬉しい」という統合賛成の人。面白かったのは市大生「どうして府大なんかといっしょにならないとあかんねやろ。いややなぁ。」府大生「どうして市大なんかと…(以下おなじ)」
それぞれ志望して難関を潜り抜けた人たちにとって「新公立大学」の具体像はわからないでしょうね。バラ色の夢を散りばめた「新公立大学構想」。不思議なことに、統合に向けてのそれぞれの利点を生かそうという話は大枠であるものの、では具体的に何をどうするのかというと、それはこれから考える的な、つまり「ありき」で進んでいるような気がするのです。
公教育については第3回と4回でも触れました。「教育改革」とは誰のためにあるのでしょうか。「改革」と名付ければ何でもいいとは限りません(むしろそうでない方が多いかも)。市場原理主義に毒されていませんか。例えば大学改革という名の下に様々な特色を持つはずの大学を、一つの基準にあてはめようとするともいえます。少子超高齢社会に入った日本が、どういった人材を次の世代として送り出すのかよりも、管理しやすい人材を送り出す装置として「大学」があるかのごとき動きにも見えます。合理化が悪いというわけではありませんが、社会に巣立つ前の学生時代に如何に多くの価値観に触れるかということのほうが大事だと思います。
既成概念を飛び越えたところから多くのイノベーションが生まれたことは、ノーベル賞に輝いた多くの方たちが受賞後に明かしているその方の歴史をみても明らかです。
大阪は進取の気風あふれる土地といわれます。言葉を変えると「新しもん好き」とでもいうのでしょうか。様々な文化を生んできました。その大阪が「効率」や「経費」を第一に考える人たちの手によって様々な面で「実験台」にされている…そんな気がしてなりません。
朝日新聞の「耕論:文系で学ぶ君たちへ」(4月7日)で私が尊敬する鷲田清一さんの書き出しをご紹介します。『文系の「文」は、言うまでもなく文化の「文」です。その研究をするから文系です。そして、僕に言わせると、大学の研究は突きつめればみな文系につながります。』】
写真の「私の大阪スポット」は大阪市の地下街(写真はなんばウォーク)
「昭和32年に開業したナンバ地下センターが日本初の地下街でした。これが大成功して次々と計画され現在の「迷路」ができていきます。案内板などは整備されましたが、今後はやはり防災面での先進性を期待したいですね」